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パリ―ブレスト―パリ 18th PARIS BREST PARIS Randonneur

自転車で、パリからフランスの西端ブレスト、そしてパリに戻る1200km、PBPにチャレンジしました。結果は帰路ルデアック800km弱であえなくDNF。次回に向けての課題も見えてきました。

データ

距離:775.5km

獲得標高:6584m

日時:2015年8月16日 18:15:00 ~ 19日 02:13:09

所要時間:55時間58分9秒平均速度:13km/hf:id:k-soho:20150817173409j:image:w360

概要

8月16日 パリ―ヴィレンヌ=ラ=ジュエル

8/16、朝から車検、そして必要なナンバープレートやブルベカード、反射ベスト、ジャージーなどを受け取りました。出発地点。パリ郊外、ヴェルサイユの隣町サン=カンタン=アン=イヴリーヌにあるナショナルヴェロドロームf:id:k-soho:20150815161424j:image:w360f:id:k-soho:20150815094244j:image:w360

出発は夕方。十分すぎる時間があるので、約30km程走ったポアシーにあるル・コルビュジェ設計のサヴォア邸を見学。

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再びヴェロドロームに戻って、食事や芝の上で昼寝。やがて80時間グループ、16:00出発組のスタートです。

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80時間グループが終わると、90時間グループ。15分ごとの出発です。私はK組、18:15の出発です。沿道には人だかり。地元の人たちが、アレ!アレ!アレ!(日本語で、行け!行け!行け!)と声援。なんだか自分がヒーローになったような気分です。この声援が、夜の遅い時間や、どんな田舎町に行っても続きます。パリ郊外を抜けると、のどかな田園地帯が広がります。

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やがて夜の帳が降りてきました。テールランプの赤色が延々続きます。最初の食事ポイント、モンターニュ=オー=ペルシュでは、食事に長い行列。これはあきらめて、売店でパンとチョコレートを購入。

しばらくの休憩の後、最初のチェックポイント、ヴィレンヌ=ラ=ジュエルに向けて進みます。街灯がほとんどありませんので、真っ暗な道ですが、自転車のテールランプの赤が途切れることなく続いていきます。このあたりまで来ると、結構坂道があります。激坂や何百メートルも登らされることはありませんが、小さなアップダウンが案外足にきます。

そしてヴィレンヌ=ラ=ジュエル、出発から220km。チェックポイントでスタンプを押してもらいます。8/17朝の5:05。夏時間なのでまだ真っ暗です。ここでは、食堂の横で転がるように仮眠をとります。

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8月17日 ヴィレンヌ=ラ=ジュエル―ルデアック

最初転がっていた場所が通路だということで、一度起こされ、それから別の場所で。合計で2時間ほど寝たでしょうか。なんだかあまり眠れませんでした。朝食は確かサンドイッチ。

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到着時ははっきりと見えませんでしたが、隣にはゴシックスタイルの教会堂が建っていました。そして朝もやの中、次のチェックポイントに向けて進みます。結構気温が低いので、薄手のダウンジャケットを着込みました。このダウンは大正解。たぶん10度を割っていたのではないかと思います。

突然、大声で「ルミエール!」。このフランス語はわかりました。深い霧だったので、係の方がライトのチェックをしていたのです。私は点灯していましたが、前の人に対して叫んだようでした。やがて、美しい町に出ました。あとで地図で確認すると、たぶんアンブリエール=レ=ヴァレーという町です。f:id:k-soho:20150817162836j:image:w360

水辺に家が建てられて、この川の流れと町が一体化しているようでした。水辺の花々に癒やされながら、先を急ぎます。

309km地点フジェールは、このあたりでは大きな街。第二チェックポイントです。11:59着。お昼なのですが、あまり食欲がありません。空は青空、朝の寒さとは打って変わって結構気温が上がってきました。しばし日陰で休憩。

そして出発。天気がいいと、多少の疲れは吹っ飛んでいきました。ただ、その反動は夕方から・・・363km地点タンテニアックは第三チェックポイント。15:30着。このあたり、疲れがたまってきたせいか、写真も撮っていません。

食事ポイント、ケディラックでもバナナとジュースのみ。448km地点ルデアックは第四チェックポイント。21:17着。ここにはオダックス・ジャパンのツアーのドロップバッグが届けられています。今から考えると、バッグの中には要らないものばかり・・・。ここでは持ち運んでいたシュラフカバーと薄いインナーシーツを出し、たまたま転がっていた段ボールをマット替わりにシュラフカバーに潜り込みました。一瞬熟睡しました。

8月18日 ルデアック―ブレスト―ルデアック

もう少し寝る予定でしたが、一度目が冷めると、それ以降は寝られなくなり、真夜中に自転車を走らせました。結構な坂道がありました。

しばらく走ると再び睡魔。ふらふらとしているのがわかりました。これではいけないと思い、自転車を知らない町の民家の前止め、その場に座りながら寝ました。これまでに何人もそうして休息している人を見ましたので、そうするもんだと思って・・・。しかしかなり冷え込んでいます。寒さに耐えながら膝を抱えて・・・我慢しました。寒さで目が覚めると、再びペダルを回しはじめました。

シークレットのチェックポイント、サン=ニコラ=デュ=ペルムに着いたのは、まだ真っ暗な4:19。第五チェックポイント、526km地点カレ=プルゲール着が7:10。

しばらくすると緩やかな上り坂が続きます。そしてロック=トレヴェゼル、あとで確認するとおよそ330m程度の丘なんですが、なかなかの展望。その時の印象として、日本の2000mクラスの山上のように思いました。ひんやりした空気の中、ゆっくりと登っていきます。緩やかな登りは嫌いではありません。何人かに抜かれ、しかし疲れている割りには、何人かを抜き去り、徐々に高度を上げていきました。

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これまでの疲れがたまっていましたが、美しい景色を見ると、急に力がわいてきました。そして気持ちのいいダウンヒル。やがてブレストが近づいてきました。f:id:k-soho:20150818190327j:image:w360f:id:k-soho:20150818190418j:image:w360

美しいブレスト湾、ここは大西洋です。そして614km折り返し地点ブレスト到着。チェックポイント通過時間12:37。留守番の家族宛に、LINEで報告。「やったね」の返事に、力をもらう。けれども何も食べられません。疲れでしばらく美しい芝生の上で寝転がりました。

2時間程ゴロゴロしていたでしょうか。そして出発。復路は全く写真がありません。今朝通過したロック=トレヴェゼルもだらだらと通過。昨日からほとんど食事らしいものをとっていません。ブレストまでこれたんだからいいんじゃないか。このあたりから、どこでDNFしようか、などと考えるようになりました。

次のチェックポイント、698km地点カレ=プルゲール着が18:50。食堂で魚料理を注文しますが、ほとんど喉を通りません。胃薬などを飲みますが全く効果無し。

シークレットのチェックポイント、マエル=カルエクス着が20:30。あたりが暗闇に包まれると、平均速度もかなり落ちてきました。ふらふらしながら走っていました。危険を感じ、時々自転車から降り、しばらく立ち止まって、ストレッチなどして再びペダルを回す。その繰り返しで、なかなか進みません。予定より大幅に遅れ次のチェックポイント、780km地点ルディアック着は日が変わり8/19、2:16、タイムオーバーです。これでDNFを決めました。

係の人にDNFを告げると、本当にいいのか、最終的に90時間内にパリに戻ればいいんだ、といってくれましたが、あと1日半走る体力そして気力はどこにも残っていませんでした。ルデアックはドロップバッグがありました。その場の担当のオダックス埼玉の方とお話ししていると、塩分不足だろう。と言われました。どうやら同じ様な人が何人もいた模様。彼は朝の電車でパリに戻るとのこと。同行することにして、再び段ボールを探して、それまで熟睡。

翌朝、路線が廃止されたためバスステーションとなった駅まで行き、持っていた輪行袋に自転車を詰め込みました。同じ様な外国の方が数名いました。彼らは輪行袋を駅で購入した模様。バスとTGVを乗り継ぎ、お昼頃にはパリ着。郊外電車に乗り、ヴェルサイユ郊外のホテルまで戻ってきました。

反省

今回のDNF大きな理由は食べられなかったことでした。今年が特別かどうかは知りませんが、8月だというのに、結構気温が低く、最低気温は10度を割っていました。その状況がわかっていたので、日本を出るときから、水だけで大丈夫だろう、と高を括っていました。

昼間は20数度、あるいは30度位になるわけですから、1日中走って、当然汗をかきます。失われた塩分やミネラル分は今回、ほとんど補われていませんでした。せめて塩でもなめていれば良かったのですが、疲れたときは甘いもの、ということで、チョコレートなどは食べていましたが、塩分を摂るようなことは全くしてませんでした。

唯一、バナナは1本食べましたが・・・。これはあまりにも無知でした。ミネラル分が不足すると、それほど暑くなくても熱中症のような症状になり、食欲がなくなります。また体の各部に異常が起こります。

ルデアックでのオダックス埼玉の方と同じ様な内容のお話しを、帰国後、知人の医師から言われました。やはりポカリスエットの粉末などの類、あるいは梅干し、塩昆布など持っていくべきでした。忘れた場合は現地で塩気の多い飴か何かを購入してシートポストバッグに入れておくべきでした。これが何よりも大きな失敗です。

それから睡眠です。計画(厳密なものではありませんでしたが)ではもう少ししっかり睡眠をとる予定でしたが、現地では、なぜか気持ちが焦ってしまっていて、十分に寝ることができませんでした。場所によっては簡易ベッドなども用意されていましたので、そこである程度の時間、睡眠をとるべきでした。普段の600km程度のブルベなら睡眠時間は短くて大丈夫ですが、数日にわたるわけですから、もっとしっかりと計画を立て、それに忠実であるべきでした。

(ここからは後日追加)1ヶ月後、日本で1000km走りましたが、しっかり睡眠をとった後は、スピードも上がります。逆に睡眠不足ですとスピードは上がらないし、またふらふらして、危険度も増します。遅れてもかまわないので、完走を目的に、睡眠はある程度しっかりとるべきでした。

(一部削除)

数日に亘る競技ですので、睡眠時間はある程度しっかりと確保すべきだと思います。(2015.9.30)

(さらに追加)あらためて分析すると、時間配分に問題があったことがわかりました。上にも書きましたが、場の雰囲気に飲み込まれ、休憩すべき時に十分休憩できていなかった、という側面が浮かび上がります。

具体的には、往路のルデアックで、もっと睡眠を取るべきでした。周囲に流され早く出発してしまって、その後すぐに睡魔に襲われる、という失策を犯してしてしまったのです。

分析すると、このとき5時間程度の余裕があったので、しっかり睡眠がとれたと思われます。しかしじっさいは3時間弱、それもしばらく寝付けず浅い睡眠でした。

そういう意味では、もっと綿密に、いくつかのパターンを考え、プランニングしておくべきでした。(2017.8.19)  

(さらに、さらに追加)

killy-soho.hatenablog.com

(2018.8.25)  

 

 次回に向けて

アレ!アレ!アレ!ひとつき以上たった今でも耳に残っています。また深夜、延々と続く赤色テールランプの流れを思い出します。世界中からこんなに物好きな自転車乗りが集まるイヴェント、完璧にはまりました。いろいろあるかもしれませんが、4年後も是非チャレンジしてみたいと思います。