山と旅と自転車と

自転車や山スキー、ハイキングなどを地図と共に記録

BRM811摩周湖1000km

8/11-14、AJ北海道のブルベ、BRM811北海道1000km摩周湖、完走しました。

8/9 大阪らか夕方の便で札幌入り。


先に到着していた同ブルベ参加者と、軽く夕食会。

8/10 自転車を組み立て試走。

出発地点に近いモエレ沼公園
ホテルまでの道沿いにあった魚屋で、焼き魚定食。

8/11 まずは出発地点のコンビニに移動。
4:00出発。石狩平野を順調に進む。

イギリス?のような風景。

快調に飛ばしていたが、ここでトラブル。
私の前方不注意のなのだが、信号で停止した前の自転車にぶつかり、私が派手に倒れてしまった。
77.5km砂川市街の少し手前。時刻は6:57。
私の自転車は、ブレーキレバーがぐにゃりと曲り、後輪ブレーキはズレていた。よく見ると後輪が外れかけているからで、冷静に後輪をはめ直すとブレーキは掛かるようになった。
ブレーキレバーは、はじめ絶望的に思ったが、近くにいた人から、力で何とかなるのではないか、とアドバイスされ、火事場のなんとやらで、ほぼ元通りもとに戻すことができた。ということで私の自転車はともかく走ることができるようになった。
一方、被害者側の自転車は、倒れてもいないし、どうもないように見えた。で、少し走りかけたとき、ディレーラーが上手く作動しない。とのこと。
周囲にいた人たちによって何とかしようとするが、如何ともし難く、少々絶望的になりかけていた。この人が走れないならば、私が走るわけにはいかない。また彼はこのあとSR600もひかえているとのこと。そもそものこの旅すべてが台無しになったか。自転車の弁償をせねばならない。旅そのものの弁償も必要か。など、脳裏を駆け巡っていた。
周りの人たちが彼の自転車を見ていて、どうやらディレーラーハンガーが曲がっていたとのことがわかる。
ディレーラーハンガーは、破断させたことも、曲げたこともある。で、少々の知識はある。ハンガーはフレームやディレーラーそのものが傷む前に破損し、フレームやディレーラーが重篤な破損につながらないように、少し柔らかく造られているものだ。
そぉーと、ハンガーに少しずつ力をかけていくと、徐々に元に戻りだした。その時私の右手に、傷みが走った。途中で人に変わってもらってなんとかほぼ元通りになる。
少し違和感があるがなんとは走れるようになったようだ。ほっと一安心。
ちなみに私の右手がこのとき骨折していたことは、この旅を終えて、地元に帰った8/16。それまではまさか骨折とは思わずに、900km強、走り抜けた。
再び走り出す。時刻は7:26。気持ちの中では、1時間程だったようにも思ったが、記録をたどると、約30分。
知人でもある彼とは、ペースも近いこともあり、当面一緒に行動する。

フォトチック多度志トンネル前。
しばらく進み旭川。コンビニで昼食。
そそくさと出発し、石北本線沿いに進む。
暑くてペースが上がらない。
上川のコンビニで休憩。

ガリガリ君もう一本。
GOODタイミングであった。
ここからは北見峠への登り。

峠は15:37。上川から約1時間半。暑さのため若干遅いか。しかしトータルの時間ではほぼ時間通り。
トラブルや、この暑さを考えると十分なペースか。

北見峠からは長い長いダウンヒル
白滝から丸瀬布、そして遠軽
遠軽からは峠を越え佐呂間町

夕陽が美しい。
佐呂間町から北見市常呂町能取湖岸をを走っているとき、雨が降り出してきた。屋根のあるところで雨宿りするが、どうも降ったり止んだりということのようだ。
カッパを着込んで。網走に向かう。22:23着。予定よりかなり早く到着。

8/12 前日、常呂のコンビニで買っていたおにぎりを頬張り4:00出発。
オホーツク海に沿って原生花園。かつてカヌーで遊んだ濤沸湖は左手だ。
また山スキーで途中まで登った斜里岳は右前方。
そして斜里に進む。少し進むと、天に続く道への登り。
100mほど登ると、天に続く道。

さて、ここからダウンヒル
斜里からは南下。これが逆風でペースが上がらない。
まずは、野上峠の登り、少し下って川湯温泉
ここからは摩周湖の外輪山への登り。

黄山と遠くに屈斜路湖がみえる。屈斜路湖は、かつてカヌーで釧路川下りしたとき、湖畔を最初のベースキャンプとした場所。湖にはカヌーでしか行けない温泉があり、そこまで行って優雅な休日を過ごしたのはもう30年以上前のこと。
外輪山の道路の最高点からは、徐々に霧が晴れていく摩周湖がみえた。

そしてフォトチェックポイント。


ここからも摩周湖が美しい。
そしてダウンヒル
弟子屈からは、釧網線沿い標茶へ向かう。

何度か釧路川を渡るが、ここは標茶
ここからは釧網線釧路川から離れて、根釧台地に上がる。
そして中茶安別。ここはPCが設定されている。ただこの付近は近年クマの目撃の多い地域だ。このあたりでは、熊鈴を鳴らしながら走行。
根釧台地のアップダウンは、かなり厳しい。
釧路郊外に出たときには、かなりヘロヘロになっていた。
新富士駅近くのコンビニで食事。そしてお尻が痔のもよう。持ってくるのを忘れたボラギノールをドラッグストアで購入。
そして、太平洋岸をどんどん進む。
フォトチェックの昆布刈り石展望台の位置がわからない。
GPSにひいていたルートをはずし、道標に沿って、昆布刈石展望台へ。
かなりのダートである。これはたぶん違う、ということを途中で気がついたが、ともかく展望台へ。少々意地になっていた。

そして本来のフォトチェックポイント。

ロスタイムは35分程度。
間もなく太平洋に別れを告げ、北西方向、内陸部に入っていく。帯広までは、さほど距離はないはずである。
しかし眠くなり、ペースが上がらない。宿着は2:00。予定より大幅に遅れた。

8/13 600kmを越えると、PC通過の制限時間がぐっと緩和される。帯広は約700km地点。
朝は7:00出発。まずは士幌に向かう。

士幌からルートを西にとり、鹿追から新得、そして狩勝峠へと進む。


サホロスキー場は、まだ未完のとき、もちろん厳冬期、下でテントを張ったことがある。リフトで頂上の少し手前まで上がり、そこから新雪を頂上に登って山スキーの練習をしたのは、もう40年前のこと。

やがて狩勝峠
ここから緩やかな下りが続く。
富良野から富良野、そして上富良野
美しい風景が広がる。








上富良野で雨に降られ、商店街の小さな店の前で雨宿り。雨が止んで出発。
美瑛方面に進む。


新栄の丘


この付近で、本降りとなる。
カッパを着るタイミングを外し、びしょ濡れに。
昼間暑かった気温が、急激に下がる。
PCとなっている美瑛のコンビニで休憩するが、食欲が全くなくなっている。いつもの悪いパターンだ。腹部にカイロを貼るなどするが、冷えた体はなかなか温まらない。
しばらくの休憩の後、美瑛の西側の山間部を走る。アップダウンがあり、ペースが上がらない。
20:38、急激に眠くなり、奔茂尻トンネル内の歩道ですこし休む。約30分位座ったまま寝て、それから出発。滝里湖畔を5分ほど走ったとき、さきほどのトンネルがフォトチェックであったことを思い出し、トンネルに戻り、写真撮影。

これですべてのフォトチェック、PCをクリアできたはずだ。危なかった。
再びトンネルから芦別方面に走る。
赤平の手前から歌志内、小さいが峠越え、これが結構つらい。
そして砂川へ。もうほとんど峠はないだろう、と思うと再び眠気が。
コンビニの前で座り仮眠。
そして美唄岩見沢、と進む。札幌に近くなるとあたりが白々としてきた。夜明けではあるが深い霧である。あまりスピードを出せないままゆっくりと進む。
そして、札幌。ゴールのコンビニは5:40着。
73時間40分、1000kmの旅でした。

反省
初日、前方不注意で追突、そして自らも負傷した。信号は時折あるものの必ずしも多いという所ではなかった。また道もほぼ直進で、少々油断していたところであった。じつはGPSを見ていた。通常ならば、ちらっと見るだけであるが、最近etrekの項目を変えたので、じっくりと見てしまっていた。走りやすい道であったので、余計に油断していた。大きな反省である。
最終日は、これまでのDNF パターンであった。最終日だから完走できたのだが、もし2日目だったら3日目は走れなかった可能性がある。
寒暖の差は大きな課題である。雨に濡れて、体が急激に冷えた。昼間は北海道にしては暑いくらいの気温であったので、余計に身体にこたえた。少なくともゴアテックスの良いカッパをもっているのだから、早いめに着込んで、シューズカバーなども早いめに履くべきであった。
細かいところではあるが、2日目行かなくともいいところに行った。これははっきり言ってキューシートをしっかりと読んでいなかったところからのミスである。キューシートと地図をしっかり見ておくことが、基本中の基本である。
あるときS氏に教えてもらった、野村克也の言葉、「勝ちに不思議の勝ちあれど、負けに不思議の負けは無し。」だな。