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『岳人』特集 新・日本オートルート

『岳人』2008.3号を買った。日本オートルートの特集である。

オートルートとは、高い道、つまりもとは欧州アルプスの氷河や峰をつないだルートのことで、特に山岳スキーのルートを指す場合が多い。

私もかつて(1992年)、シャモニーからツェルマットそしてモンテローザをつないだルートに遊んだ。

オートルート(LA HAUTE ROUTE) アルプス山岳スキー

また日本では、立山室堂から新穂高まで黒部の源流を巡りながらスキーで縦走した。

山スキー 北アルプス/立山室堂~新穂高・縦走と黒部の谷

これは、記録を見ると1988年のことであった。

件の『岳人』特集であるが、これまで一般に言われてきた立山と新穂を結ぶルートだけではなく、他にもオートルートといえるルートが取れるだろう、ということで、槍穂や後立、黒部上廊下横断、南ア、吾妻連峰など目を見張る記録が掲載されている。

岳人 2008年 03月号 [雑誌]

岳人 2008年 03月号 [雑誌]

詳細は、直接同書を読まれることをお薦めするが、一部、挫折のものもあったが、総じて迫力ある記録だ。

ちょっと偉そうな物言いになってしまい恐縮だが、山スキーの世界もこの20年の間、ずいぶん進化したものだと、感慨深いものがあった。とりわけここ数年の変化は大きいと思う。それは山スキーMLなど、ネットによる情報が大きく影響しているのだろうか。また、一般のスキーヤーやボーダーが山に入ってきて、山スキー人口そのものの増加もあるだろうか。

私が北アのオートルートに入った頃、やはり『岳人』では、その特集が組まれていたが*1、それは稜線伝いで縦走路沿いのルートが紹介されていた程度で、谷を結ぶルートはまだまだ珍しいものであった(もちろん一部の人はすでに行っていたが)。

私が辿ったルートは、その前年にRSSAのメンバーが黒部源流付近を滑りまくった記録*2に影響を受けたもので、数年後のヨーロッパオートルートを意識したコースを考えたものであった。考えてみれば、この黒部源流の記録が『岳人』に掲載されたのが一つの転機か。それまでの日本の山スキールートは主に稜線にとられていたのであるが、本場のオートルートでは、氷河など谷地形を結ぶことが多かった。もちろん向こうの山で稜線を進むことは極めて困難なものであるが、日本の場合でも、稜線は小さなアップダウンが多いのに対し、谷状地形では登高と滑降がはっきりしており、スキーの機動力を生かした、より山スキーに有利なルートとなり、面白さが増す。谷滑りの醍醐味が、ここに記されたわけだ。また場合によって長距離を短時間で結ぶこともあり得る。もっとも私の場合、天候がよくなかったこと、重荷であったこと(単独行で、食料はすべてレトルト、重いテントを担いでのスキー)もあり、一週間もかかっている。現在では、『岳人』記事もそうだが、もっとスピーディな行動が多いようだ。

その山行は、その時代のことを考えると、我ながらよくやったと思うし、現在でも十分楽しめるルートだと思う。

山スキーの楽しさに一つに、地図を見ながら自分でルートを探る、ということがある。最近は、ずいぶん意外なところまで記録が及んでおり、初滑降あるいは初のルート取りはなかなかできない。が、雪山は天気やその積雪によって姿が大きく変わり、その天候と地形の総合的な「読み」が面白いところでもある。

近頃はそのような山行をすることは希で、ネットや本を参考にした山行が圧倒的に多い。ただ先日の中国山地比婆山での山スキーは、決して特別なルートではなくコンパクトなものではあったが、天気と地形の面白い「読み」ができた山行となった。時間と体力の関係で大きな山行は難しくなっているが、時々はこのような山行をしてみたいと思う。

*1:『岳人』1987.5号、立山上高地、新穂→薬師

*2:『岳人』1988.2号、『ベルクシーロイファー』14号